前を向くために Part3

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人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

般若心経が語られた場

般若心経には、「小本」と「大本」があります。
小本とは、般若心経の、まさにお経として読まれる部分だけを指します。対して大本とは、その前後に、若干の情景描写が付いています。情景描写とは、観自在菩薩(観世音菩薩)がシャーリプトラ(舎利子)に般若心経を説いた、その時の情景の描写です。大本は、たとえば法月訳の「普遍智藏般若波羅蜜多心經」(以下のリンクの 252 番です)に書かれているのを確認できます。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-bdk-sat2.php
しかし、そもそも観自在菩薩はブッダの時代にはいませんでしたから、ブッダと観自在菩薩が同時に同じ場にいることは現実としてはありえません。もっと言えば、観自在菩薩そのものが実在の人物ではありません。この情景描写は、後世の人が作り上げた、ひとつのフィクションです。それを紹介します。

ブッダは、多くの修行僧・求道者とともに、王舎城という場所の霊鷲山にいました。これは現存する場所です。仏教の聖地のひとつです。

その時に、ブッダは「深遠なさとり」と名付けられる瞑想に入ってしまいました。ブッダから何かありがたい教えを聞けると思っていた周りの人は、困ったんでしょうね。「いつになったら、瞑想から目覚めるのだろうか」って…

一方、その時、傍らでは、観自在菩薩が、深遠な智慧の完成(つまり般若波羅蜜多ですね)を実践しつつあったときに、存在するものには五つの構成要素(五蘊ですね)があると見極めました。しかも、彼は、これらの構成要素が、その本性からすると、実体のないもの(空ですね)であると見抜いたのです。

その時、シャーリプトラは、観自在菩薩に尋ねました。「もしも誰か立派な般若波羅蜜多(智慧の完成)を実践したいと願ったときにには、どのように学んだらよいでしょうか」、と。こう聞かれて、観自在菩薩はシャーリプトラに言いました。「シャーリプトラよ、その時には、次のように見極めるべきである」と。

と、ここから般若心経が語られます。小本の部分です。そして、大本はその後も少し続きがあります。

ブッダは瞑想から起きて、観自在菩薩に賛成しました。「その通りだ、立派な若者よ、まさにその通りだ。深遠な智慧の完成を実践するときには、そのように行わなければならないのだ。あなたによって説かれたその通りに目ざめた人々・尊敬されるべき人々は喜び受け入れるであろう」と、ブッダは喜びに満ちた心でこのように言いました。それを聞いて、周りにいたシャーリプトラ、求道者、観自在菩薩、その他一切の者たちは、ブッダの言葉に歓喜したのでした。

というのが、大本に書かれている、般若心経が語られたシチュエーションです。ブッダが瞑想しているその傍で、観自在菩薩がシャーリプトラに般若波羅蜜多を説くのです。ブッダが直接説いたのではありません。ブッダは傍観者です。そして最後に「その通りだ」とだけ言って、お墨付きを与えるのです。
なぜこの著者(大乗仏教です)は、ブッダではなく、菩薩に語らせたのか。そこには大乗仏教の思いが垣間見えます。「戦略」と言ってもいいかもしれません。どういうことかと言うと、菩薩に語らせることによって、ブッダの教えを越えようとした、ということです。
ブッダの思想・教えは、非常に厳しいものです。まずとにかく俗世の一切を断ち切って、身ひとつで出家しなければなりません。今まで築いた財産も名声も、愛する家族や恋人も、親しい友人も、あらゆるものを切り捨てて、わが身ひとつで出家するというのは、大変に厳しい要求です。そうそう誰にでもできるものではありません。東南アジアカンボジアとかミャンマーとかでは、上座部仏教といって、このような仏教の形が今も守られていますが、こういう地域では、出家した修行僧は、大変に尊敬されています。
それに対して、「もうちょっと柔軟に、誰にでもできるようなものにしようよ」としたのが、大乗仏教の始まりらしいのです(インドです)。だから、大乗仏教は、ブッダの教えを超える必要があった。つまり、ブッダの教えよりもこっちのほうがいいですよと世間の人にアピールする必要があった。新興勢力というのは、いつもそうです。過去を否定し、いやそうじゃないだろうと考えて新興勢力を興す。
その大乗仏教の代表が、菩薩です。菩薩は、大乗仏教になってから、非常に大きな位置を占めるようになりました。そこで、菩薩に語らせ、語らせる内容はブッダの教えを真っ向から否定するような内容ですが、あえてそれをブッダの前で語らせ、しかも最後にブッダから「その通りだ」というお墨付きを得てしまう。
僕なんかから見れば、「そこまでやるか」的な、ウルトラC級の「旧来の思想への挑戦」に見えるのですが、おそらく、大乗仏教勃興期には、ここまでやる必要があったのでしょう。おかげで、今、大乗仏教は、日本、中国などで中心的な勢力となって今に至ります。
だからと言って、大乗仏教がブッダの仏教より優れているとか、進歩的だとか、そういうことではないでしょう。上座部仏教には、ブッダの時代の仏教が色濃く残っていると言われていますが、どんな仏教を選択するかは、その人の考え方次第です。大乗仏教的な「ノリ」がいいという人は大乗仏教を選べばいいし、ブッダの仏教、上座部仏教のような厳格さが好きだという人はそれを選べばいい。仏教は懐が深いです。僕個人の考えでは、僕は割とストイックなところがあるのと、やはりブッダの理論構築はすばらしいと思うので、仏陀の仏教、上座部仏教のほうが好みですね。