前を向くために Part3

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人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

恐怖政治では統治できない。そしてリーダーの条件

最近、体重が減ってきている。最大の要因は食事だと思われる。と言うか、食事くらいしか思いつかない。別に新たに運動を始めたわけでもないし。

今回、最も顕著だと思うのは、過食が無くなったこと。いわゆるストレス食いだと思うけど、それが無くなった。昼食に2人前食べることも無いし、食後にアイスクリームを食べることも無い。会社の食堂とか帰り道で夕食を食べて、さらに家でまた食べるということも無い。そういう、「余計なエネルギー摂取」が無くなったことが、一番大きいと思う。

仕事の時間が若干増加しているということも少しあるかもしれない。何しろ、脳は大変な大飯食らいなのだ。「考える」(と言うか脳の活動一般か)という「行為」は、非常に大きなエネルギーを消費することが知られている。だけど今回は「やせる」ほどには影響していないと思う。体重が減るほど働くというのは、僕の経験では残業を60時間とか80時間とかいうのを続けないと、体重は減ってこない。「頭から湯気が出る」という言葉があるが、あれは本当だ。本当に一所懸命働いているときは、頭から湯気が出ているような気がする。そのくらい働くと、別にダイエットしていなくても体重が減ってくる。

なぜ過食が減り、労働時間が増えたのか。

会社のブラックさに愛想が尽きたからだと思う。

昨年度末、グループ会社でリストラがあった。いわゆる退職強要である。その様子を知ってしまった。実際に退職してしまった人も知っている。

会社というのは、営利団体であって慈善団体ではないのだから、利益を上げることは重要だ。だから、事業の打ち切りや再編はあって当然である。儲からない事業から撤退し、儲かる事業に人をシフトするというのは、営利団体としては当然の行為である。それは認める。

しかし、事業を打ち切るのと一緒に、人まで切ってしまっては、それは経営陣の無能を自ら証明することになってしまう。せっかく育てた人材である。どんな会社にも、会社の社風というのはあると思う。何を大事にする会社かというのは、それぞれである。それは社員が成長するに従って、身に付いてくるものだ。簡単に身に付くものではない。そんな風に、長い年月をかけて社風を実に付け、何が大切なのかを学んだ社員を、簡単に切ってしまうというのは、ものすごくもったいないのである。同じだけの素養を持った人間を育て上げるのにどれだけのコストがかかるかを考えれば、それは明らかだ。

リストラは、経営陣の怠慢であると断言する。

なぜならそれは、お金をかけて育てた社員を活かすことができないないということを、自ら証明することになるだからだ。社員はコストではなく、資産なのである。社員を貴重な資産と見ず、コストとしか見ないような会社には、僕はいたくない。

だから僕は、会社に愛想が尽きた。この会社は駄目だ。人材を活かす術を持っていない。以前はこんなではなかった。人を大事にする会社だった。それが、数年前の巨額の赤字で、がらりと変わってしまった。利益至上主義になってしまった。社長は、社員よりも株主のほうを向いている。そんな会社で自分の能力が十分に発揮できるとは思えない。

それと、会社が怖くなくなったということもある。とある「事件」により、僕は去年の9月から、会社を頻繁に休むようになった。有給休暇は底をつき、ついに欠勤や遅刻をボロボロ出してしまった。それも何ヶ月にも渡って。これで、僕の評価は5段階のうちの最低になることがほぼ確定してしまった。勤怠は査定の最も厳しい部分である。降格されるということがほぼ確信されたとき、僕は会社が怖くなくなった。だって、これ以上悪くなりようがない、最低の評価だから、何をやったってこれ以上悪くなりようがない。そうしたら、怖いものがなくなった。

会社が怖くなくなった。だから会社の言うことも聞かないし、業務命令であるとはっきりしていること以外はやらなくなった。会議にも出ないし、小グループ活動にも参加しない。別に会社からのお知らせにも興味は無いし、ボトムアップの活動にも興味は無いから。会社の全てが、興味の対象外なのである。

そして、このことを、部長に直にぶつけた。降格を告げられた面談でのことである。部長の正面に座り、面と向かって

あなたのために働きたくはないし、会社のために働きたくもない。僕は会社内での成功なんてものはターゲットにしていない。だから会社での 評価も気にしない。いい評価を得ようとして努力するつもりも無い。そうではなく、人生での成功をターゲットにしている。会社を定年退職した後にも人生はある。僕はその先を見据えている。会社にいるのは、とりあえず働けばお金をくれるから。嫌いなのに辞めないのは、この歳では再就職は難しいと思うから。だから僕は、嫌いながらも、黙々とただ業務命令を遂行する。ただし、お金の心配をする必要がないのなら、会社を止める可能性は十分にある。

と言った。面と向かって、今まで鬱屈していた会社への思い、部署への思いを、ほぼ言い切った。部長がどう受け取ったかは知らない。部長がどうなろうが、そんなことには興味がないし、評価にも興味がないから、別にどうでもいい。

しかし、僕のほうには劇的な変化が起こった。仕事がはかどるのである。驚いたことに、仕事がおもしろいのである。それは、はかどるからおもしろいのかもしれない。仕事が進み、モノができてくるということは、純粋に喜びである。

これは意外だった。おそらく、今まで鬱屈していたことを言いたい人に言い切って、すっきりしたのではないだろうか。「どう評価されようが気にしない」と言い切ったので、これで評価されようとか、そういうことは一切思わない。評価なんてのはどうでもいい。目の前にある仕事がおもしろいように片付いてゆくことに、喜びを感じる。おもしろいから、つい熱中する。

そう。熱中するほど、おもしろいのだ。

昨年度は1年間、恐怖感に押しつぶされながら、何とか会社に勤めていた。その恐怖というのは、降格の恐怖である。降格すれば、当然給料は下がる。僕は会社から、「成果を出さないと来年度は降格するぞ」という脅しを受けていた。その脅しに恐怖を感じながら、成果を出せずに毎日を無為に過ごしていた。萎縮していたのである。

結局、思うのは、僕みたいに、恐怖政治では統治できない人間がいるということである。「成果を出せ。さもないと降格だ」というネガティブなインセンティブで、プレッシャーに押しつぶされずに成果を出せる人もいるだろう。しかし僕はそういうタイプの人間ではない。

しかしそれは、仕事ができないということではない。実際、今現在の作業効率はなかなかのものだし、今の部署に引っこ抜かれる前は、 設計で相当仕事をこなしていた。上司によると、これで目を付けられて前のそのまた前の部長に引っこ抜いたらしいのだが。

ついでに言うと、今の上司も同様に引き抜かれた。今の上司は以前の部署にいた頃の上司なのである。2人して引き抜かれた。それで以前の部署はどうなったか。ボロボロである。1年がかりで海外発注していたソフトウェアの新バージョン開発プロジェクトをとうとう打ち切りにせざるを得なかったほど、ボロボロである。プロジェクトマネージメントがまったくできていない。愚かな人事をした結果だと僕は思っている。ざまを見ろと思っている。僕だったら、うまくやり遂げさせる自信がある。

要は、人は使い方次第ということだ。バカとハサミは使いようと言うけど、バカに限らず、人間一般について、まったくその通りだと思う。人は使い方次第で、最大級の生産性を発揮もするし、逆に、まったくアウトプットが出せないほど萎縮して身動きが取れなくもなる。

だから僕は言うのだ。リーダーの最大の資質要件は、人を見る目だということを。人を見る目というのはつまり、「こいつはどういう風に働かせたら、最大の生産性を出せるか」を見抜く目ということだ。そして、リーダーの最も重要な仕事は、部下の力が最大に発揮できるように、業務環境を整備することだ、と。

環境が良ければ、人間は期待以上のアウトプットを出すものである。それを引き出せるリーダーが優れたリーダーなのである。リーダーというのはつまるところ、上から、あるいはあちこちから、振ってくる仕事を部下に振り分け、その成果をかき集めて自分の成果として上に報告するのが仕事なのだから。