前を向くために Part3

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人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

私の闇歴史:始まりは唐突に。パニック発作の巻

少しずつ、私のダークな現在と過去を記録していこうと考えている。独り言なので、特に誰に読んで欲しいということはなく、ただ、自分の記録として、何となく、書き連ねて行ければいいなと。

まずは始まりから。始めは、今で言うパニック発作だった。その頃は、まだ『不安発作』と呼ばれていた。

まだ私が大学院生の頃の話だ。突然、それは始まった。いつも、発作というのは突然始まるものなのだ。学校の講義を受けている時に、全く突然に、発作が起こった。座っているのに、頭の中で突然、何かが起こった。現実が、まるで貧血のような『黄色い世界』に変わった。そこにいるのに、いないような感じ。大昔、小学生の頃に貧血で倒れる時に感じたような、周りが黄色く見える感覚。自分が完全に周りの世界から分離し、自分だけの世界に入り込んでしまったような、とても非現実的な感覚。それは何だかとても不思議な感覚だった。今でもよく覚えている。

パニック発作は、その後も何回も起こった。それは時も場所も全くランダムに、唐突に起こった。一番恐ろしい発作を起こしたのは、自分のアパートの部屋である。私は、本当に自分がこのまま死ぬのではないかという究極の恐怖を味わった。今でもよく覚えているが、私はベッドで一人、どうにもならずに、のたうちまわった。本当に死ぬのだと感じ、ものすごい恐怖を感じたのである。私の人生の中で、最も恐ろしい経験だった。あの発作以前にあれほどの恐怖を感じたことはなかったし、あれ以降もあれほどの恐怖を感じたことはない。まさに、究極の恐怖だった。

ことここに至って、ついに私は当時籍を置いていた教室の指導教官である教授に相談をした。私は東京大学医学部保健学科を卒業し、大学4年生の時に家族に起きた大事件のために(これがパニック発作の原因だと思われるのだが)、人生の上で将来を決める重要な決定となる就職活動をやめ、とりあえずという感じで大学院に進んだのだが、当時の保健学科の教授はみんな医師だった。東京大学医学部医学科を出て医師になって研究者になった人達である。なので、医学的な助言はもらえたし、東京大学医学部付属病院も紹介してもらった。この病院は天皇陛下が手術を受けるような病院である。が、そこに行ったのは後のことである。私はまず、学内にある学生のための診療所に行った。すでにその頃から、内科とは別に、精神科があったので、私は精神科を受診した。

そこで生まれて初めて、私は精神安定剤なるものを飲んだのである。今は抗不安薬と呼ばれている。たぶん、セルシンだった。精神安定剤つまり抗不安薬の代名詞のような存在だった。今では沢山の種類の抗不安薬が開発されているが、その頃は、精神安定剤にはそんなに沢山の種類があるわけではなかった。セルシンは、今でも、精神科に限らず、外科手術の前に患者を落ち着かせるために静脈注射するなど、たいへん広く使われている薬である。私自身、虫垂炎の手術の時に、セルシンを静脈注射された。セルシンの名前は知っていたので、『へーこんな時にも使うのか』と驚いたことを覚えている。

セルシンの威力は素晴らしいものだった。あんなに苦しんだ、恐ろしい不安発作はパタッと止んだ。以来、大学院を修了するまで、ずっと精神科に通い続けた。大学病院にも行ったが、同じ見立てだったので、学生向けの診療所に通い続けたのである。

ストーリーとしては、これが始まり。これに至るまでには、何らかの原因があるはずだが、実はそれは明らかになってはいない。つまり、私の場合、原因はこれだと特定されていないのである。思い当たる節はあるし、それは原因の一つと言うか悪化した要因と言うか、関係があるのは間違いないだろうけれども、実際のところはわからない。これについてはまた別の記事にしようと思う。

今でもそうだが、薬というのは、あくまでも対症療法に過ぎない。つまり、症状に合わせて薬を処方をするだけなのである。しかし、これでは本当の治療にはならない。単に薬で症状を抑えているだけなので、薬をやめればまた発症する可能性が高い。本当に治療するには、その病気が発生した原因を特定し、それを除去するなり解決するなり対処するなりして、原因に手をつける必要がある。

だがしかし、精神科の場合、これは容易ではない。身体の病気と違って、精神科の場合、大抵は脳を含む神経系の『機能的な疾患』なのである。脳に欠損があったりすれば、それは『器質的な疾患』として原因は物理的に明らかになり得るが、『機能的な疾患』の場合は、目に見えるような身体的な問題は無く、どこかの器官の『機能』がうまく働かないという問題で、さらに、そういう部分は、手術で体を開いて取り出すというようなわけにはいかないのである。取り出したら、それはもう人間で無くなってしまうかもしれない。脳は代替物が無いし、神経網を取り出したらその先の器官は動かなくなるか何も感覚が無くなってしまってコントロールが利かなくなる。コントロールが利かなくなるというのは、その部分の死を意味する。『ああ自律神経失調ですね。じゃあ切りましょう』と自律神経を切ってしまったら、自律的に動いている心臓が止まってしまうから、その人は死んでしまう。そういう厄介な問題があるのだ、精神科には。

であるから、神経科は基本的には、患者の話からの推測で治療をするしかなく、しかもその根拠は、患者の主観的な訴えという、非常にバイアスのかかった情報なのである。だから、バイアスを取り除き、本当はどうなのかを見極めるのは、とても時間がかかるし、医学的に判断をするのも時間がかかる。そのため、多くの場合はそこまで時間をかける余裕が無く、単に薬物療法でお茶を濁しているのが現状なのである。薬を処方すれば、とりあえず診療報酬はもらえるし、しかも患者は薬無しではまともに生きて行けないためにずっと通い続けるから、安定した収入を期待できるという点もある。

ちなみに、私が今、通院している医者は、患者一人当たり10分の診療時間でスケジュールを組んでいる。しかも、通院は2週間に1回である。さらに、10分のうちの数分は、医者がカルテを見て患者を思い出すのに費やされる。1日に沢山の患者を診るので、医者の方もすぐには患者を思い出せない。カルテを見て、前回の記録を見て、思い出して、話をするということになると、実質的には話ができるのはほんの数分である。いったい、数分で2週間分の出来事の何が話せるだろうか?と考えてみれば、その異常性がわかるかもしれない。私の場合は、ほとんどが薬の話に費やされる。今の薬は効いているのかどうかという話だけで終わってしまう。どこもそんな感じじゃなかろうか。

次は、就職してからどうなったかというところか、あるいは、推定される原因として、発症1年前の事件のことを書くかもしれない。あるいはそもそも私は何という病気なのかという話になるかもしれない。