前を向くために Part3

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人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

火垂るの墓:節子を殺したのは間違いなく清太だ

ネットでちょっと話題になっていたので、録画してあった火垂るの墓スタジオジブリ高畑勲監督)を観たのですが。一言で感想を述べれば、『ムカつく映画』でした。観る価値は無いと断言します。ひどい映画です。子供が観ると、間違ったメッセージを受け取る可能性さえあるとさえ思います。この映画のどこに感動があるのか、私にはまったくわかりませんでした。

どう観ても、妹の節子を殺したのは、兄である清太に違いありません。大人が働いているにも関わらず、自分は働きもせずに、さりとて学校に通うわけでもなく(前の学校が焼けてしまったなら、おばさんの家の近くの学校があったでしょう)、喧嘩をしたわけでもなく、大した理由も無くおばさんの家を出てしまい、自分だけならともかく、劣悪な環境に妹を置き、親が残したお金で闇米その他を買ったり、畑のものを盗んだり、空襲警報で誰もいなくなった民家から盗みをしたり、清太は、まったく不真面目な犯罪者でしかありません。節子はまだ幼く、働くのは無理があったでしょう。しかし、清太は、十分に働ける歳であったように見えます。例えば、畑から盗みをするのなら、その代わりにその畑の持ち主の農家で働くという道もあったのではないでしょうか。本当に妹のことを思うのなら、妹のために働いて食料を得るという選択肢があったはずです。あるいは、おばさんの家に戻って、自分は働きに出るということもできたはずです。それをしないで、衰弱していく妹をただ見ているだけでした。節子は、最後に親の残したお金で清太が買って帰ったものを食べることなく、スイカをほんの少し食べただけで、死んでしまいました。そこまで行く前に、清太はなぜもっと早く、妹のためにお金を使わなかったのでしょうか。おかしくないですか。清太は、まだ銀行にお金があったのに、盗みをしたのです。戦時下とは言え、許されるものではないでしょう。子供だからといって許されるものでもありません。戦時下で空襲警報が鳴り響く中、銀行も、道具屋も、医者も、まだ機能していました。社会はまだ社会として機能していたのです。

言うまでもなく、現代社会においても、貧困に喘ぐ子供達は世界中にたくさんいます。その人数は億単位でしょう。中には、難民として暮らさざるを得なかったり、無政府状態の下で暮らさざるを得なかったりする子供達もたくさんいます。そっちの方がよっぽど悲劇的です。私は、戦時下でもない、平和な国なのに、インドや東南アジア諸国で、そういう子供達を見てきました。今でもそうなのです。

清太は、妹のために、できることを精一杯やったとは、とても思えません。妹のためなら、どんなに大変でも、屈辱的でも、我慢して働くという姿を描いたのなら、それはそれで評価できるでしょう。しかしそうではありませんでした。清太が節子を殺したのです。間違いなく。

いったい、高畑勲監督は、あるいは原作者の野坂昭如氏は、いったい何を表現したかったのでしょうか。戦時下の子供達の悲劇というには、あまりにも清太はわがままで、独りよがりで、自分勝手過ぎます。その自分勝手が、妹を殺したのです。ネットを見れば、かなりの人が同じような感想を表現しています。さもありなん。見終わって、とても不愉快だったので、ブログに残すことにしました。