前を向くために Part3

プログラミング、音楽、外交問題、その他思いついたことを何でも公開

人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

東京大学の入り方その1:熱中できる事を見つける

昨日、どこかの 2ch まとめサイト東京大学の入り方教えろ』というのを見かけたので、私が考える最も効果的な方法というのを、不定期連続物で書いてみたいと思うわけであります。参考になるかどうかは、その人次第でしょうな。信じるも信じないもその人次第。ということで。これはその第1回目。と言うか、序章みたいなものなんですけどね。準備と言いましょうか。

なぜ東大に行きたいのかというのは、この際、問わないでいきます。それはもう各人が目的を持って進学希望を持つものだし、私がとやかく言う事ではないのだから。ただ、そこは皆さんちゃんと自分で考えておいてちょうだいね、という事だけは言っておきたいですね。なぜならば、その目的意識が無いと、天才ではない普通の人が東大に合格するのは、やっぱりなかなか難しいと思うから。モチベーションと一言で片付けられるものじゃないけど、まあそんなようなことと思ってください。何か芯が無いと、続かないか、途中でくじけるかもしれないですからね。

さて、東大に入るには、入試に合格しなければならないですよね。そして、東大は、偏差値ランキングだか難易度ランキングだかで常に1番偏差値が高くて難しいということになっていますね。理系、文系ともに。と言う事は、入試で相当な高得点を取る必要があるわけです。今ってよく知らないんですけど、推薦入学とか、あったりするんだろうか。卒業しちゃうと、あんまり興味ないので…。もしあるんだったら、それはそれで狙ってみるのもいいかも知れないけど、私にはそのノウハウは無いので、もっぱら入試で高得点を取る方法というのを語ってみたいです。これ、たぶん理系文型共通だと思います。私は理系だから、本当にそうかは検証できないですけどね。

入試で高得点を取るにはどうするか。答え。勉強するしかないです。やっぱり。よほどの天才で、勉強しなくても、授業を聞いているだけで全部わかっちゃって、スラスラ問題が解けちゃうという人もいますけどね。いるんですよ、そういう人。東大にはそういう人、確かにいます。でも、大部分は、普通に頑張って勉強して入試に合格したんですよ。本当に、普通に、頑張って。

ただですね、ここにちょっとしたコツがあると思うんですよ。頑張るコツというか、頑張れるコツというか、そういうものがあるんです。『フロー体験』とか『フロー理論』というのを、知っている人もいるかも知れませんね。ウィキ先生にも載ってます。


フロー (心理学)

言葉を知らなくても、例えば、好きな事に打ち込んでしまって時間を忘れて熱中したとか、そういうことってありますでしょ。そういうことなんです。つまり、勉強を好きになって、勉強に熱中して時間を忘れてしまうくらいになればいいんです。それが『フロー』という状態なんです。

もしかしたら、これは性格的なものがあるかも知れないな、という気はしますけどね。何かに熱中できない人っていうのは、勉強にも熱中できないような気がします。逆に、ゲームに熱中してぶっ通しで徹夜してゲームしちゃうような人は、勉強にも熱中できる素質あると思うんですよね。何かに熱中できる事って、実はすごく大切な事だと思います。フロー状態になると、何がいいのか。『努力』ということがなくなるからなんです。だって、好きでやってるんだから、それは努力じゃないでしょう? 嫌々やっていたら、それはやっぱり嫌だし、身に付かないし、続かないです。たぶん。

だから、まずやるべきなのは、私が考えるには、何かに熱中する心を育てるという事。これが一番大事。その心があれば、勉強にも熱中できるはず、と思います。逆に言うと、熱中するほど勉強しないと、東大には入れないってことかもしれませんね。何でもかんでもテキトーにやって生きていたら、それはたぶん楽(らく)かも知れないけど、楽しくはないんじゃなかろうか。そういうふうに生きていると、後になって後悔すると思うんですよね。そりゃあ、人生長いですから、常に何でも熱中していたら、身が持たないかもしれない。そういう時は、緩急を付ければいいです。熱中する時には熱中して、ダラーンとするときには思いっきりダラーンとする、みたいなのは、あるかもしれない。ダラーンとするっていうのは、『手を抜く』と言い換えてもいいかもしれない。でも、受験の頃って、高校生でしょう? まだまだあらゆる事に夢中になれる年頃ですよね。子供ってすごいなと思うのは、そういうところ。勉強も一所懸命、スポーツも一所懸命、音楽(あるいは絵画とか)も一所懸命、ゲームも一所懸命、みーんな一所懸命、みたいなことができちゃう。それが子供。だから無限の可能性を感じてしまう。大人になっちゃうと、何だか妙に小利口になってしまって、無茶とか無理とか、できないもんですよね。仕事だけで疲れちゃったりして。人間関係にも疲れるし。長く生きていればそれだけいろいろ起こりますし。私みたいに病気になっちゃうのはもう最低。

だから、小さい頃に何か習い事をするってのは、とても大切な事だと思うんですよね。私が勝手におすすめするのは、勉強以外に、芸術を何か一つと、武道を何か一つ、見つけてあげる事。芸術は、ぜひやってみるべきだと思います。子供って、どういう才能があるかはわからないから、小さい頃はいろいろやらせてみるのがいいんじゃないですかね。ちょっと絵画教室に通わせたり、ピアノとかギターとか何か楽器を習わせたり、あるいは書道とか華道とかバレエ・演劇とか、そういうのも芸術に含めていいかも知れない。武道は、大人になってきっと役に立つから…あまり深い意味は無いので、普通にスポーツでもいいと思います。まあ子供が興味を持った事はしばらくやらせてみるのは、熱中する心・夢中になれる心を育てるという意味で、大切だと思いますよ。子供に『これが好き』っていうのを見つけてあげるのは、親の責任だと思う。こんな世界もあるんだよって、見せてあげないと、子供ワールドは未知の事だらけだから、ちょっとした方向付け、動機付けは必要なんじゃないかな。

そういう意味で言うと、親が多彩な趣味を持っているというのは、子供には良い影響を与えると思いますね。子供に、世界は面白いというメッセージを送ること。世の中には楽しいことが沢山あるというメッセージを送ること。それには、親自身が楽しいことに熱中するという姿を見せるのが一番かもしれません。私には子供いないから、わからないですけどね。

私の場合は、父の方は絵が好きで絵画教室に通ったし、よく兄と一緒に写生に連れて行ってもらった。母の方は音楽が好きで、ヤマハ音楽教室に通ったし、後にエレクトーンも買った。結局、絵はものにならなかったですけどね。そういう方面のセンスは無かったみたいです。音楽の方は、ヤマハ音楽教室は嫌いだったけど、なぜか父はクラシックギターを持っていて、若い頃は弾いたらしいです。そのギターと、エレクトーンがあったことが、とても役に立ったですね。それで私も兄も、音楽の方の趣味を持ったんですけどね。兄はトランペットで吹奏楽部、私もドラムスで吹奏楽部とロックバンドをやったりしたから。吹奏楽部は3年生になって止めましたけど、ロックバンドは3年生になってもやってました。学園祭に出たりして。一番いろいろやった学園祭が高校3年生の時の学園祭じゃなかったかなあ。ロックバンドだけじゃなくて、フォークコンサートのほうでも Simon & Girfunkel やったし、クラス対抗の出し物でピンクレディ踊ったりして...なんであんなに頑張れたのかと言えば、やっぱり、好きな事に熱中できたからなんだと思います。ああ、スポーツは、両親ともに、やらなかったですね。だから私もスポーツとか武道のような体育会系はやらなかった。ちょっと心残りではあります。

あと、本を読む癖を付けさせるっていうのも、大切かもしれません。子供には、本は好きなだけ買ってあげましょう。それに加えて、親が子供に読ませたいというものも買ってあげましょう。本を読むと何が良いかって、やっぱり世界が広がるんですよ。脳内世界が広がる。子供の頃って、それこそ何でも吸収しますから。大人になってしまうと、どうしてもだんだん頭が固くなってくる。だから柔らか頭の内に、脳内世界を広める事。それが良いです。あと、本は没入できるんです。読んでる間、その世界に入り込める。これはフロー体験に繋がります。やっぱり、子供の時代(ざっくり、十代までですかね)というのは、そういう意味では、ものすごく大切な時期なんですよね。子供の1時間は、大人の1日より密度は濃いかもしれないなんて思うわけです。

私の場合、両親ともに本が好きでした。その影響だと思いますが、私は、小学校の頃から図書館で本を借りまくって読みまくったですね。小学校の頃は、学校の図書館の本と家にある本を読みました。後に東北大学医学部に進学した同級生と、競争で図書貸し出しカードの枚数を競ってたりしましたね。家には子供版世界文学全集が B5 版で分厚い辞書みたいな厚さで全30冊なんてのがあったりして、それも全部読みましたね。有名な物語というのは、だいたいそれで読んだと思います。親が読んだんだか、大人版の日本文学全集もありましたけど、それは読まなかったです。大人と同じ本を読むようになったのは、自分で本を買い出した、たぶん中学になってから。レコードもそうですね。中学に上がって、自転車通学してもいいようになって、行動範囲が一気に広がったのと、あと新聞配達のアルバイトで、自由に使えるお小遣いが子供の割には豊富にあったから。『○○文庫の100冊』みたいなのがありますでしょ。私は高校の時に、それ100冊読破しましたね。別に勉強ばっかりやってたわけじゃないんです。そればかりでなく、SF も沢山読みました。クラーク、ハインラインアシモフみたいな有名どころは、だいたい読んでるんじゃないですかね。ローダンシリーズは50巻くらいまで読んで、切りがないのでやめましたけど。他にもっと読みたい本があったので...。純文学も SF もミステリーもファンタジーも読んだし、新書も沢山読みました。本はよく読んだと思いますね。中学、高校と、文庫・新書ばかりでした。やっぱり安いし、名作と呼ばれるものはそれで揃いますから。高校の頃は、毎日のように学校の帰りに本屋さんに寄ってましたね。その頃、新潮文庫フロイトの『精神分析入門』とか『夢判断』とかを読んで、心理学・精神医学に興味を持ったのが、後の進路選択のきっかけだったですね、今にして思えば。新書でも、好んで心理学関係はよく読みました。漫画は、読まなかったかな。小学校の頃は、少年サンデーとかマガジンとか、近所の遊び仲間と共同で買って回し読みとかしましたけど、中学になってからは、たぶん漫画は読んでないです。アニメも、小学校で終わりましたね。中学になって、自分だけの部屋ができて、居間でテレビ観るより自室で本読んだり音楽聴いたりした方が圧倒的に多かったです。

というわけで、第1回目なのでこの辺で。熱中するという事は大事な能力なんだよということ、何か熱中できる事を見つけましょうということ、それを育てるためには習い事がいいんじゃないかなということ、それと、本を読みましょうということ。長く書いた割には、当たり前のことのような気がしますけど、でも、やっぱりこういうのが王道なのかも知れないなと思います。ちなみに、音楽も、読書も、今もずっと好きですよ。こういうのはやっぱり一生ものです、はい。それでは続きはまたいつか。