前を向くために Part3

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人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

「ジジウヨ」で考えた

私自身は、世代的には「ネトウヨ」世代と「ジジウヨ」世代の間に挟まっているので、「ジジウヨ」ではないとは思いつつ、そういう思想は理解できるし、自分に近いものであるような気もする。私は「ウヨク」なのだろうか? そうかもしれない。ちょうど左右の真ん中から、自分の位置がどっちに傾いているかというと、それはたぶん右に傾いているのだろう。
しかし、そうだろうか? 本当にそうだろうか? ちょっと違うような気がする。確かに、今の中国も韓国も北朝鮮も嫌いだけど、それは彼らが中国人だから、朝鮮人だから、というわけではない、と感じる。最近の中国、韓国の「嘘つき」や「言い訳っぽさ」や「傲慢さ」が嫌いなのだ、と感じる。どういうことか。

慰安婦問題が、朝日新聞の捏造であったことは、最近、自分自身が「嘘つきでした」と認めたこともあり、広く認知されていることであると思われる。朝日新聞自身が、非常に不完全であり、各方面から批判されてはいるけれども、一応は嘘を認めたのを全世界に知らしめたわけである。しかし韓国は、過去ずっと、朝日の嘘をあたかも本当であったかのように喧伝し、日本が大罪を犯したかのように世界中で批判を繰り返した。そういう韓国人の、見え透いた嘘つきが、嫌いなのである。韓国人は、何かにつけて日本人を攻撃したがるし、何であれ朝鮮民族は少しでも大和民族よりも優れているのだと主張したがる。それが嫌なのである。日本人的には「はいはいわかりました、あんたが一番ね、はいはい」で終わらせてしまいたい類の、彼らの主張なのである。とてもまともに付き合っていられないということだ。

中国も、似たようなものだ。最近の中国、特に江沢民以降の中国は、日本に対する攻撃が凄まじい。さらに最近は、経済大国として日本を追い抜いたこともあってか、大変な傲慢ぶりである。フィリピンやベトナムなど、国境を接する国との争いを見よ。東シナ海では尖閣諸島を巡って日本と一触即発まで発展させ(日本はただ日本国土を守っているだけである)、南シナ海ではすでに近隣諸国と(まだ軍は出てきていないけれども)衝突が起きている。南シナ海の大部分は中国のものだという中国の主張を描いた地図を見たことがある人は多いと思うが、あれなどただ呆れて失笑を禁じ得ないくらいだ。一体どういう思考回路を持ってきたら、あの図が世界で通用するという発想を持てるのだろうか? あれが、世界の失笑を誘わずに認知されると本気で考えている(らしい)中国人が微笑ましくさえ思えてしまう。あれを見て笑わない人がいるとしたら、それは中国人しかいないと思う。

そういう中国が嫌いなのだ。今に至って、過去、トウショウヘイが「日中の問題は将来の世代に任せましょう」と言った意味がわかって悔しく感じるのである。実に狡猾であると考えざるを得ない。もっとも、今の中国は(大陸は)、共産党一党独裁政権下にある共産主義国であるから、国民は本心を安全安心にいつでもどこでも語れるような状況には無い。語ってしまえば、有名なところではたとえば天安門事件のようなことが起こってしまう。国家による弾圧である。なので国民の本心と国家の策略の間には大きな乖離があるだろうとは思うけれども、それにしても、最近の中国は、札束で外国人の頬をビンタするようなことを、繰り返してはいないだろうか。日本ばかりでは無い。世界中でそういうことをやっている。欧州でも、アフリカでも。

そういう、面倒くさい国々と、日本は不幸にも国境を接している国なのである。本当なら知らんぷりしてしまいたいが、そうもいかない。東南アジア諸国などは、日本が中国と渡り合って勝つことを期待しているふしがあったりするからやっかいだ。彼らの期待を裏切るのも気が引ける。今はアメリカと日本が一緒になって中国にもの申すということをやっているが、日米がやらなければ中国はますます天狗になる一方だ。ちなみに、韓国は中国側に寝返ったと見ていい。まだ米軍は韓国に駐留しているけれども、来年には間違いなく撤退すると見ている。韓国側は延長を申し入れているが、アメリカは延長しないだろう。もうそろそろ韓国を見限ってもいい頃だ。

だから、私は「嫌韓」なのであり、「嫌中」なのである。決して、「ウヨク」ではない、と思う。ただ、結果的に、こういうことを言い出すと、右に傾いてしまう、ということなのだと思う。よくわからないが、これは多くの日本人が抱いている思いと似ているのではないだろうか。日本人の 2/3 以上が今や「嫌韓」であり「嫌中」なのである。新聞社やテレビ局の世論調査でそういう結果が出ている。その心はといえば、結局はこういうことなのではないか、と私は思っているのである。