2014年10月11日のTweet
@hagi_ojy: あるいは、戦争を、国家レベルの殺人と考えてみればいいかもしれない。人間社会から殺人がなくなることがあれば、もしかしたら国家間での戦争もなくなるかもしれない。しかし、その日が訪れることは、決してないだろう。少なくとも私には、殺人のない社会は想像できない。
@hagi_ojy: 以上、証明終わり。
@hagi_ojy: 人間が生き物である限り、戦争はなくならない。これは歴史が証明している。これまではそうだった。これからもそうだろう。それが生き物というものだ。
@hagi_ojy: 人間以外の動物は、言葉という道具を持たないために、戦うことイコール暴力であるが、人間には暴力以外にも戦いの手段はあるということだ。簡単に言ってしまうと。
@hagi_ojy: 外交の究極は戦争であるというのは、知られた事実である。外交努力を尽くしても解決しない紛争が持ち上がってしまったら、最終的にはそれは戦争という形を取らざるを得ない。つまり暴力である。
@hagi_ojy: 人間は、言葉というものを持っている。言葉を持ってすれば、暴力にうったえなくても、その場をおさめることができる。国家レベルで言えば、それこそが外交である。
@hagi_ojy: しかし、戦いを回避するということは、時と場合によっては可能である。いや、人間社会においては、可能な場合の方がほとんどと言ってよいだろう。
@hagi_ojy: だから戦争は決してなくならない。人間が生きている限り。まさに、生きることは戦うことと同義と言ってよいのである。精神医学の立場から言えば。
@hagi_ojy: これが個人対個人ならば殺人ということになるが、これが国家レベルで起こると、それが戦争となるのである。
@hagi_ojy: かくして人間においても、戦いはなくならない。やるか、やられるか、という場面、つまり、相手を殺さなければ自分が相手に殺されるという場面に遭遇してしまった場合、その人間はどうするだろうかということを考えてみればよい。
@hagi_ojy: 自己保存本能がある限り、その本能を持つ動物は、いざというときに、戦うという行動をとる。ライオンに襲われたシマウマを想像してみればよい。シマウマは必死になってライオンと戦うだろう。
@hagi_ojy: つまり、これらの感情は自己保存のための感情なのである。これは何も人間だけに限らない。脊椎動物つまり脳がある動物ならばみんな持っているものである。ゆえにこれは自己保存本能と言われることがある。
@hagi_ojy: では怒り、恨み、憎しみの感情を人間からなくすことは可能か? 不可能である。なぜならばこのような感情は恐怖や不安という感情と密接に結びついているから。自己を否定されることは自己の存在の危機に通じる。そういう時、人間は恐怖を感じ、また怒りを感じるのである。
@hagi_ojy: 戦争の原因は何か、またきっかけは何か? それは怒り、恨み、憎しみの感情である。相手に対するこのような感情が、人間をして戦争に駆り立てるのである。
@hagi_ojy: 人間社会から戦争をなくすことはできるか? 答:できない。これを簡単に論理的に導いてみるテスト。