前を向くために Part3

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人生、前向きに生きたいもの。でも、何かと後ろ向きになりがちな自分がいるのです。前向きに生きるには、まず前を向かなければなりませぬ。じゃあ前を向くためにはどうしたらいいの?と日々悩んどります。これはその記録の一部です。

天皇陛下の退位の何が問題なのか

1. 退位後の立場はどうなるのか

 過去の例では、上皇という呼称になるのが一般的らしいので、呼称は上皇としておく。さて、上皇とはどういう立場なのか。今まで退位が認められなかったので、当然、上皇の立場も、憲法にも皇室典範にも記載がない。

 今の天皇陛下でも、憲法に定められた国事行為を行う以外は何ら権利も義務も有しないのであるから、上皇になってそれら国事行為から解放されたら、何の権利も義務もなくなると考えられる。つまり、公的には何ら責務を負わず、何をする権利もないということになるのではないか。

 とはいえ、天皇にも、食事をしたり睡眠をとったり家族と家庭内対話をしたりということは許されているので、これら、いわば私的行為は、上皇にも許されると考えられる。つまり、上皇の立場とは、公的には何の行為も許されず、私的行為のみが許されるということになる。

 そうした場合、例えば旅行に行きたいと上皇が考えたら、それは叶うのか。今でも、全国の被災地などをよく行幸されている天皇陛下である。上皇になったら、天皇という立場を離れ、自由に日本や世界を飛び回り、日本国民に寄り添いたいと願うのは、想像に難くない。行幸は国事行為か。日本国憲法には、天皇が行う国事行為が列挙されているが、この中に、「行幸」はない。つまり、行幸は、国事ではないということだ。であるならば、天皇の私的行為であるということになる。そうであるならば、上皇の「旅行」も私的行為である。だから旅行をすることは、叶わないことはないであろう。

 なお、上皇も皇族になると思われる。現行の皇室典範では、皇太后が皇族として含まれるからだ。皇位継承権が生じるか同課はわからない。これから決めるのだろう。

 若干の懸念もある。退位したら、今の皇太子殿下が天皇になるのだから、天皇の親という立場にもなる。そうすると、家族内対話として、上皇天皇に、何かのアドバイスのようなものをすることは、十分に考えられる。それがアドバイスであるうちはいいかもしれないが、何しろ、実の親である。「親の言うことが聞けないのか」みたいな命令のようなものがもしあったとしたら、それは問題ではないだろうか。例えば、天皇は行きたいと思っていないのに、上皇に「被災地に行きなさい」と言われたら、天皇は逆らえるだろうか。この辺り、疑問が残る。

 更に言えば、「お前、もう天皇を退位して位を譲りなさい」などと言ったりしたら、これは大変である。上皇の恣意で天皇が決まるなどということがあってはならないだろう。

 天皇は、上皇の言うことを断れるのか。立場上は、断らなければならないと思われるが、実際問題としてどうなのか。繰り返すが、実の親である。

 

問題その1: 上皇天皇に命令することがありはしないかと懸念される。

 

2. 天皇に退位の恣意は許されるのか

 すでに述べたように、日本国憲法に定められている通り、天皇は、憲法に定められている国事行為のみを行うことができる。そのほかに認められているのは、私的行為に限られる。恣意的な発言は、私的行為のみが許され、公的行為では許されない。

 退位は公的行為である。私的行為ではあり得ない。であるならば、天皇が、恣意的に、つまり、自分が退位したいからといって、退位できるものではない。つまり、「やめたいからやめさせて」で退位できるものではないということである。さらに、公の場で「退位したい」と言うことも許されない。家庭内、つまり、皇后にぼやくのは、私的行為として許されるであろうが。

 つまり、そもそも、公共の電波を使って、国民に直接話された、あのビデオレターは、憲法違反だということになる。

 

問題その2: そもそも恣意的な退位もそれを表現することも憲法違反である。

 

  その責任は憲法第3条にあるように、内閣にあるのだが。

 だがしかし、放送されてしまった。覆水盆に返らず。国民は天皇陛下の気持ちを知ってしまった。ではどうするか、ということである。ボールは国民の側にある。

3. 恣意的退位の前例になる

 憲法違反をしてまで、自身の考えを述べられた天皇陛下が、実際に退位された場合、これは確実に、退位の前例になる。次の天皇陛下が、「だって前の陛下だってやめたいっておっしゃってやめたんだから、自分もやめたいからやめる」とおっしゃったらどうするのか。退位していただくのか。即位してすぐに「やっぱり天皇はきついからやめる」などとおっしゃった場合はどうするのか。そんなことが繰り返されたらどうなるか。天皇のなり手がいなくなってしまう。大問題だ。

 

問題その3: 前例になる。

 

4. 恣意的即位はできるのか

 恣意的に退位できるのなら、では即位も恣意的にできるのかという議論が待っている。恣意的な即位とは、「なりたいからなる」ということと「なりたくないからならない」ということの両方を含んでいる。つまり、皇太子が「天皇になりたいから陛下は退位なさってください」と言って現天皇を退位させて自分が即位することや、皇太子が「天皇になんかなりたくない」と即位拒否をすることである。少なくとも、天皇が恣意的発言をするのなら、皇太子だって発言したいだろう。即位拒否など、十分に考えられる。その場合、どうするのか。単純に、次の皇位継承権を持つ皇族になってもらうという話では済まない。次も拒否、その次も拒否などとなったら、やはり、天皇のなり手がいなくなってしまう。これも大問題である。

 

問題その4: 恣意的即位はどうするのか。

 

以上、問題点を4点あげた。考えれば、まだありそうな気がする。そんなことを、拙速に決めていいものだろうか。よくよく考えて、国民にも問題点を明らかにしながら議論を尽くし、国民の総意として決めるべきではないか。そのように思うのだが。