2013年11月11日のTweet
@hagi_ojy: そしていつか、重要な事実に目を向けた者が真理を発見する。そうやってサイエンスは進化してきたし、これからもそうであるに違いない。ワタシはそういう、サイエンスという『神』を信じる者である。
2013-11-11 21:51:08 via web
@hagi_ojy: 実は重要な事実はファインダーの外で起こっていたということも往々にしてあることだ。それを見ていなかったら、重要な事実を見逃したことになり、どうでもいい事実しか見えない。それがバイアスとなって伝わる。サイエンスはそういうことの繰り返しだ。
2013-11-11 21:48:03 via web
@hagi_ojy: 事実は一つでも、どこが報道するかによって必ずバイアスがかかるように、事実の認識には必ず認識する人のバイアスがかかる。人は、感覚器官で感じられないものは認識できないのであるから。それは例えばカメラのファインダーのようなものである。ファインダーの外は見えないから認識できない。
2013-11-11 21:44:01 via web
@hagi_ojy: だからワタシは事実がまず知りたいのだ。事実は一つだから。その上で、その事実をどう解釈するかは、おそらく人の数だけあるのだ。
2013-11-11 21:39:05 via web
@hagi_ojy: 未来は確率的にしか予測できないけれども、過去はひとつである。確率の異なる、あらゆる可能性の中から、確率的にただ一つの選択が『今』という瞬間に確定し、事実となる。その積み重ねが過去となる。だから事実は一つしか無いし、過去も一つしか無い。
2013-11-11 21:35:08 via web
@hagi_ojy: そういう『サイエンス』において、最も重視されるのは、『事実は何か』ということなのである。事実無しに真理は成立しないし事実に反する真理などあり得ない。
2013-11-11 21:30:42 via web
@hagi_ojy: サイエンスというものの本質は何かと言えば、それは『真理の追究』ということである。自然科学は元より人文科学/社会科学においても、それは変わらない。
2013-11-11 21:26:33 via web
@hagi_ojy: ならばワタシは、自らの信ずるところに忠実であらねばと思う。そして、自らの信ずるところとは、つまり『神』なのである。ワタシにとっての『神』は何かと言えば、それは自然科学を基礎とするサイエンスということになる。ワタシは『サイエンス』という『神』を信じているのだから。
2013-11-11 21:19:15 via web
@hagi_ojy: 会社や上司が『徳』を持ち、尊敬できて信頼できるのなら、喜んで忠実に仕えるが、彼らにそれは望めない。無理な話だ。
2013-11-11 21:15:29 via web
@hagi_ojy: 儒教的そしてそこからくる武士道的なしそうでは、『主君に対して忠実である家臣』の意味で用いられることが多いと思うが、今のワタシには、主君がいないから困ってしまう。
2013-11-11 21:12:20 via web
@hagi_ojy: ワタシの名前には『忠』という文字が入っているんだけど、親はどういう思いを込めてこの名前をワタシにつけたのかということは、実は聞いていない。
2013-11-11 20:40:54 via web
@hagi_ojy: ジプシーつまりロマは確かに非差別集団らしいが言葉を変えたからといってロマが差別を受けているというリアリティは消えはしない。言葉を変えることで差別が無かったかのように扱われる方が問題だと思うがな。
2013-11-11 18:26:47 via web
@hagi_ojy: NHK オペラ番組でカルメンの一部をやり、その中に見慣れない歌として『ロマの歌「にぎやかな楽の調べ」』というのがあって『え?』と思って調べたら、『ジプシー』というのが差別用語で放送禁止用語だというのを初めて知った。
2013-11-11 18:24:49 via web
@hagi_ojy: 欧州も米国も、白人主体の社会では、いわゆる白人至上主義というのが、今も根強く残っている。日本人もモンゴロイドだから非差別人種なんだよ。Jap とか Yellow monkey とか言われてさ。
2013-11-11 15:03:18 via web
@hagi_ojy: ハリー・ポッターの映画のテレビ放送があったので、録画を観る前に、慌ててまだ読んでいない最終巻を読んでいるけどwローリングは魔法使いの世界にもちゃんと純血主義と差別を描写しているんだよな。これは意図してのことだろうと思う。
2013-11-11 14:56:08 via web